一休宗純
正月になると、一休さんの言葉を思い出す。
正月は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし
正月に、杖の頭にどくろをしつらえて、
「ご用心、ご用心!」
と叫びながら練り歩いたそうだ。
私は子どもの頃から、
「日付以外に何かが変わるわけではないのに、何がめでたいんだろう?」
と思っていた。
それは今も同じ。むしろ、以前は
「明けましておめでとうございます。」
と言っていたが、今は言わない。
変な人と思われようが、正月も誕生日もクリスマスも祝わない。
祝うべきなのは、努力が実を結んだとき、と思っている。
それでも、今年は忘年会に出てみた。あんまり付き合いが悪いのもどうかと思って。
人はなぜ「祝う」のだろう?
親しい人たちと、食事や歓談することはとても良いことであり、必要なことだと思う。
そのための機会としての「祝い」なのだろう。
それにしても、この頃は昔は関係なかったハロウィンのようなものまで広がって来た。
起源も何も関係ないのね。物が売れればいい、という商業主義。
それで、昔聞いた歌を思い出す。
「酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ~
酒が飲める 飲めるぞ~ 酒が飲めるぞ~
一月は 正月で 酒が飲めるぞ~
酒が飲める 飲めるぞ~ 酒が飲めるぞ~」
二月は節分、三月はひな祭り・・・
とつづく。特に行事が無い月は
「何にもないけど 酒が飲めるぞ~」
で、とにかく酒が飲めさえすればいい、という歌だった。
「浮かれ騒ぎ」したいのね…。
「食べたり飲んだりしよう
明日は死ぬのだから」
という考え方だ。
人間、希望がないとそういう考え方になってしまうのも無理はないのかも。
一休宗純と言う人は面白い人だ。蓮如上人と親交があったそうだ。
蓮如の留守に上がりこんで、阿弥陀如来像を枕に昼寝をしていたら、帰宅した蓮如が、
「オレの商売道具に何をする!」と言って、ふたりで大笑いしたとか(ウィキペディアから)
偶像崇拝を笑い飛ばして、痛快。
肉食、妻帯(一休は内縁?)したのは、親鸞と共通している。
仏教もキリスト教もだけど、人間の自然な欲求を禁止する戒律を作る。
使徒パウロは、こう書いている。
「後の時代に、信仰から離れた人たちが、…結婚することを禁じたり、…神が創造された食物を断つように命令したりします。」「神の創造物はみな良いものであって、感謝して受けるなら、退けるべきものは何一つないのです。」
不自然に禁止するから、司祭が性的虐待をしたとか、買春の上客になってたりとかいうことが起こる。
「情欲に燃えるよりは、結婚しなさい。」とパウロは言っているのに。
一休宗純は、過去に二度自殺しかけたそうだが、年老いて亡くなる直前には、
「死にとうない」
と言ったという。
実に人間的。
そういえば、親鸞も
「浄土は恋しからず」
と言ったそうだ。
人間は生きることを願うように造られている。
彼の最後の言葉は、それを証明しているようだ。
正月は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし
正月に、杖の頭にどくろをしつらえて、
「ご用心、ご用心!」
と叫びながら練り歩いたそうだ。
私は子どもの頃から、
「日付以外に何かが変わるわけではないのに、何がめでたいんだろう?」
と思っていた。
それは今も同じ。むしろ、以前は
「明けましておめでとうございます。」
と言っていたが、今は言わない。
変な人と思われようが、正月も誕生日もクリスマスも祝わない。
祝うべきなのは、努力が実を結んだとき、と思っている。
それでも、今年は忘年会に出てみた。あんまり付き合いが悪いのもどうかと思って。
人はなぜ「祝う」のだろう?
親しい人たちと、食事や歓談することはとても良いことであり、必要なことだと思う。
そのための機会としての「祝い」なのだろう。
それにしても、この頃は昔は関係なかったハロウィンのようなものまで広がって来た。
起源も何も関係ないのね。物が売れればいい、という商業主義。
それで、昔聞いた歌を思い出す。
「酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ~
酒が飲める 飲めるぞ~ 酒が飲めるぞ~
一月は 正月で 酒が飲めるぞ~
酒が飲める 飲めるぞ~ 酒が飲めるぞ~」
二月は節分、三月はひな祭り・・・
とつづく。特に行事が無い月は
「何にもないけど 酒が飲めるぞ~」
で、とにかく酒が飲めさえすればいい、という歌だった。
「浮かれ騒ぎ」したいのね…。
「食べたり飲んだりしよう
明日は死ぬのだから」
という考え方だ。
人間、希望がないとそういう考え方になってしまうのも無理はないのかも。
一休宗純と言う人は面白い人だ。蓮如上人と親交があったそうだ。
蓮如の留守に上がりこんで、阿弥陀如来像を枕に昼寝をしていたら、帰宅した蓮如が、
「オレの商売道具に何をする!」と言って、ふたりで大笑いしたとか(ウィキペディアから)
偶像崇拝を笑い飛ばして、痛快。
肉食、妻帯(一休は内縁?)したのは、親鸞と共通している。
仏教もキリスト教もだけど、人間の自然な欲求を禁止する戒律を作る。
使徒パウロは、こう書いている。
「後の時代に、信仰から離れた人たちが、…結婚することを禁じたり、…神が創造された食物を断つように命令したりします。」「神の創造物はみな良いものであって、感謝して受けるなら、退けるべきものは何一つないのです。」
不自然に禁止するから、司祭が性的虐待をしたとか、買春の上客になってたりとかいうことが起こる。
「情欲に燃えるよりは、結婚しなさい。」とパウロは言っているのに。
一休宗純は、過去に二度自殺しかけたそうだが、年老いて亡くなる直前には、
「死にとうない」
と言ったという。
実に人間的。
そういえば、親鸞も
「浄土は恋しからず」
と言ったそうだ。
人間は生きることを願うように造られている。
彼の最後の言葉は、それを証明しているようだ。
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