「謙虚」と「謙遜」
「謙虚」と「謙遜」の違いは何だろう?


検索した結果、分かったこと。
「謙虚」 へりくだってつつましいこと
「謙遜」 へりくだる(ようす)
「謙虚」はその人そのものの性質を表し、「謙遜」は態度・様子を表す
などとある。なるほどね。
以下は私個人の考察。
「謙虚」という言葉が一番あてはまると思う状況。
「大自然の中、満天の星を見上げ、広大無辺の宇宙に思いをはせるとき、自分の小ささ無力さを思い、謙虚な気持ちにさせられる。」
「謙虚」とは、圧倒的な存在に対し、自分の無力・非力をありのまま素直に認めることではないだろうか?
一方、「謙遜」という言葉は、聖書の学びの中で「謙虚」よりずっと多く用いられる。
「キリストは謙遜の手本」という具合に。
しかし、キリストが「謙虚」とは言われていない。
キリストは、神に次ぐ強力な存在で、暴風や荒れ狂う波さえ従わせる力を持っていた。
「神の初子(ういご)」と呼ばれ、全ての創造の業に「すぐれた働き手」としてかかわった。つまり、神が設計士でキリストが建築家というわけ。
それでも、人間の子どもであったときには、不完全な両親に従っていた。
「最後の晩餐」と呼ばれる夜には、弟子たちの足をひとりひとり洗って回り、謙遜さの手本を示した。
このことから、「謙遜」は、権威や能力があるにもかかわらず、へりくだった態度を取ることではないかと思う。
それで私の結論は
「謙虚な心・思いが、謙遜な態度・行動につながる」



検索した結果、分かったこと。
「謙虚」 へりくだってつつましいこと
「謙遜」 へりくだる(ようす)
「謙虚」はその人そのものの性質を表し、「謙遜」は態度・様子を表す
などとある。なるほどね。
以下は私個人の考察。
「謙虚」という言葉が一番あてはまると思う状況。
「大自然の中、満天の星を見上げ、広大無辺の宇宙に思いをはせるとき、自分の小ささ無力さを思い、謙虚な気持ちにさせられる。」
「謙虚」とは、圧倒的な存在に対し、自分の無力・非力をありのまま素直に認めることではないだろうか?
一方、「謙遜」という言葉は、聖書の学びの中で「謙虚」よりずっと多く用いられる。
「キリストは謙遜の手本」という具合に。
しかし、キリストが「謙虚」とは言われていない。
キリストは、神に次ぐ強力な存在で、暴風や荒れ狂う波さえ従わせる力を持っていた。
「神の初子(ういご)」と呼ばれ、全ての創造の業に「すぐれた働き手」としてかかわった。つまり、神が設計士でキリストが建築家というわけ。
それでも、人間の子どもであったときには、不完全な両親に従っていた。
「最後の晩餐」と呼ばれる夜には、弟子たちの足をひとりひとり洗って回り、謙遜さの手本を示した。
このことから、「謙遜」は、権威や能力があるにもかかわらず、へりくだった態度を取ることではないかと思う。
それで私の結論は
「謙虚な心・思いが、謙遜な態度・行動につながる」
この記事へのコメント
最近芸能人を見ていても思うのですが、謙虚な人の方がやっぱり人気が出ますね。
だからと言って、これ見よがしの謙遜をする人は、見え見えで、あまりいい印象を受けないです。この違いもなんでしょうね。
しかし、現実のビジネスの世界は謙虚では通りません。自己顕示をしていかないと生きていけない世界でしたね。政治の世界も同じ、謙遜や謙虚とはまるで逆のの世界だと思います。これがグローバルスタンダードとは思いたくないですね。
本物と偽物の違いではないでしょうか?
芸能人なんて特に、人気がいつまで続くか分からない商売ですよね?それなのに、謙虚さがなくおごった気持ちで、形だけ謙遜するから、いい印象を受けないんだと思いますよ。
私はやはり、謙虚は美徳と思います。
謙虚って、自分の至らなさを素直に認める気持ちですよね。
謙虚さをもちながら、謙遜な態度で、それでも言うべきことは言う、というのが理想なんでしょうが、ビジネスの世界ではそうはいかないのですね。
グローバルスタンダードといえば、謙虚さは、今の中国には見いだしにくいようですね。
英語では、humbleや modestは、良い特質とされているのではないですか?
年末のご挨拶に伺いました。
ご交誼賜り
ありがとうございました。
来年がmayflowerさんにとって
素晴らしい年になりますように
お祈り申し上げます。
花車に確認したら
小学校で習った士農工商は「ママと同じ」(先生が同世代)
中学ではまだやっていない、とのことです。順番を適宜入れ替えているようです。
謙虚について・・
通じる相手には謙虚に
通じない相手には強気で
これは、色々な人と交わり
色々な場面をくぐった上で申し上げております。
謙虚、を勘違いし
ベラはベラを低くしているから自分は偉い!!!
と高飛車に出る人種は少なくない・・
相手を見極めることが肝心かと存じます。
ただし・・
わたくしの「強気」は「慇懃無礼」かも(笑)
どうぞ、よいお年をお迎え下さいませ。
来年も宜しくお願い申し上げます。
確かに、謙虚ではうまくいかない相手もいますね~。
教室で生徒に怒って見せる時なんて、
「ああ、私のクリスチャン人格が~!」
なんてとき、あります…。
でも、生徒に間違いを指摘されたときなどは、
「気付いてくれて、ありがとう!」
と言っています。
「相手を見極めることが肝心」
本当にそうですね。